彼等に出会ってかれこれ半世紀       
                                                                                                         
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 「いつまでたってもビートルズ」
 
 1950年(昭和25年)生まれの僕らにとって、ビートルズの存在とは、いったい何だったろうか?否、まだ残された2匹のビートルが頑張っているのだから、まだまだ歴史は続いているのであるが、これ程まで、僕らに影響を与え続けている彼らの存在とは何なのだろうか?
・Please Please me                     1964年 
 初めて聞いた時の衝撃は凄まじかった!小学生の頃からアメリカン・ポップスは、聴いていたのだが、その時彼らから受けた衝撃には、到底及びもしなかった。
 僕らはかなり興奮していたが、日本では「こんにちは赤ちゃん」「高校三年生」が流行っていた時代であり、まだ一部の熱狂的なファンだけの世界だったかも知れない。
 その当時の時代性(世の中が“ゆったり”としていたにも関わらず、かなりの偏見や誤解があった。)もあり心の内の興奮がストレートに発散できずに、もやもやしたものが、現在まで続いているのかも知れない。
    ・Here there and everywhere               1966年     
 極東に興味を持っていた彼らは破格のギャラで来日した。
既に僕らは高校生になっていたが、まだまだ武道館は遥か遠い存在だった。
しかし、イギリスのリバプールの港から日本の高知の港へ、彼らの音楽は確実に届いた訳だから、何処にいても、世界のどんな場所に居ても、彼らの音楽は届いていた筈だ。
後日、いろんな仲間と同じ経験を話し合った事があるが、言葉や環境が異なっていても、同じ感性を持つ者には確実に届くものだと、妙に納得したものだった。逆に、インターネットも携帯メールも無い時代にこそ、届くものが有ったのではないかとさえ思った。
・Starting over                         1980年
 1980年12月8日ジョン・オノ・レノンは凶弾に倒れる。
5年間の子育てを終え、音楽活動に復帰する矢先の出来事だっただけに、世界中のファンは“拠りどころ”を失ってしまった。当然、僕たちもショックで落ち込んでしまい、やり場のない憤りを感じたものだった。

 司馬遼太郎さんの「竜馬が行く」に信奉している、竜馬ファンの気持ちに通じるところがあるのかも知れない。昨年出た、「ラブ・アンド・ピースぜよ <坂本竜馬はジョン・レノン?>」という本の中の強引な付録に、高知龍馬空港とジョン・レノン空港(リバプール)を対比させていたが、大政奉還で無血戦争を説いた竜馬と「イマジン」や「ギブ・ピース・ザ・チャンス」で平和を訴えたジョン、何となく似ていると思いませんか?
・Imazine                            1990年
諸事情により高知へUターンして、友人達と映画「イマジン」を自主上映した。それを機会にビートルズ倶楽部を結成した。 
 “イマジンでイブしよう”という甘いキャッチフレーズだったが、あまりの観客の多さにRKCホールの映写機が、オーバー・ヒートする程だった。(入場者1,000人余り)基本的に自分たちで見たいもの、聞きたいものを高知で作って行こうというスタンスで立ち上ったが、いろんなフリークな仲間が集まり出し、面白い集りに成っていった。
 「A hard day’s night」’92年「Back Beat」’94年と2年おきに映画を上映し、その後は彼らに因んだコンサートを毎年続けている。
・The Beatles box’99                    1999年
 妙な縁で「こうち元気者交流会」(高知県の委託事業)のメンバーと知り合い、共催でこの音楽祭を行った。いろんなジャンルの音楽家(12組)に集まってもらい、彼らの楽曲を楽しもうというこの企画は、ミレニエムに向けて大いに盛り上がりを見せた。
 この資産が、高知街ラ・ラ・ラ音楽祭へ発展して行こうとは、その時誰が想像できたであろうか。
・ロンドン・リバプール・ヒステリーツアー          2000年
 齢傾き50才、長年の夢だった聖地参りを意を決して敢行することになった。
ロンドンも遠いが、その先のリバプールはまだまだ遠い!

 いろんな書籍を漁っている時、偶然司馬さんの「街道を行く〜愛蘭土紀行〜」に出合った。その本の中で、安部氏(現リバプール観光局勤務:リバプール在住30年)が司馬さんを案内した事を知り、早速安部氏にFaxした。聖地案内をタイミング良く快諾してくれ、これが大正解であった!

 別れ際に、土佐のお土産(枡、土佐鶴(若村真由美)のポスター)を市長に渡したいと云ったら、わざわざリバプール市役所まで同行してくれ、表敬訪問させてもらった。
 現在も安部氏とは交流があり、最新のリバプール日本語ガイドブックが届いている。
 註(愛蘭土紀行は、司馬氏が「アイルランド」を訪ねた旅行記なのだが「イギリス」との対比でアイルランドを見つめており、なかなか「イギリス」の理解も深まる本だ。)
・高知街ラ・ラ・ラ音楽祭                   2002年
 Beatles box’99のスタッフだった故堀田氏が、仙台で盛り上っている「定禅寺ジャズ・フェステバル」の話を聞いて来たのが、事の始まりだった。

“是非これを高知でやってみたい”と熱く語った堀田氏の元へBeatles box’99を中心にしたスタッフが直ちに集まり、トントン拍子に本音楽祭が開催された。
この年は高知で国体が開催されており、県外からのお客さん達へ絶好のウェルカムにもなったようだ。高知の街へ新しい音楽シーンが流れ出した歴史的瞬間であった。
・Paul Mccartney driving japan              2002年
 大阪ドームの遠い席で、初めて“彼”の音を聞いた。冷静に聞いていたつもりであったが、初期のナンバーを聞いている内、いろんな事が走馬灯のように駆け巡り、思わず泣き出しそうになった。
・僕らの正しいビートルズ学                 2003年
 高知市文化振興事業団から市民講座で“彼ら”をやりたいと要請を受けた。
とても面白い企画だったが、果たして彼らで大丈夫?果たして僕らで大丈夫?と少し考え込んでしまった。が、蓋を開けて見ると、定員30人は満員になり平均年齢49才の同窓生は、懐かしいノルタジアを共有したのであった。
・With the beatles box’2005               2005年
 2005年3月21日、高知市文化事業団の「高知のアーティスト2004」の一環として本企画が開催される。‘99年度版より少し規模は小さいが、ブルーズ、ジャズ、クラシック、ロック、ワークショップと5組の様々なビートルズ・ワールドの箱が開かれようとしている!
 ロビーでは高知街ラ・ラ・ラ音楽祭の写真集や秘蔵フィルムが上映されるようだ。みなさん是非遊びに来て、楽しんでいって下さい。<BR>
いつまでたっても、いくつになっても“彼ら”と離れられない深い仲に落ちてしまった。すべて彼らのせいである!
   
2010.10 あれから10年
 ロンドン・リバプール・・・
 
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樋口真吉伝 南寿吉著
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・ビートルズ倶楽部  
・高知街ラ・ラ・ラ音楽祭
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     更新日:2010.3.22
 

 

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