2018年2月18日除幕式:糸満市大度浜海岸(ジョン万ビーチ)
 
◎琉球上陸物語
◎私の沖縄上陸物語
 初めて沖縄県へ訪れたのは2008年10月。大学校友会の沖縄大会が那覇市で開催となったのを機に高知県支部長、他の校友会メンバー1人と3人旅であった。その当時はまだ高知龍馬空港から直行便が運行していたので、あっという間に那覇空港へ降り立ち、トロピカルな空港の雰囲気に解放的になったのを覚え得ている。
 旅の恒例として、必ずその土地の民俗楽器を買って帰ることにしていたが、流石三線を買う残金がなく、諦め切れず同行者に借金をして三線を買って帰った。今でも床の間に飾ってある。

2009年9月、再び今回は家族4人で那覇市を訪れた。娘が1年間、ここの高校にいたせいもあり、久しぶりの家族旅行となった。以前から気になっていた「ジョン万次郎」の上陸記念碑を見てみたいと思って国道沿いを捜したけど、結局標識らしきものも見つからず諦めてしまった。かつて木製の記念碑があったそうだが、風雨にさらされてボロボロになっているのを高知新聞で見た記憶があった。

その後、2010年ころから縁があって、ジョン万次郎の顕彰団体に所属し活動を始め出した。
2015年9月、第4回ジョン万サミットin沖縄が豊見城市で開催され、土佐ジョン万会として10数人で参加した。この時、万次郎上陸地点に記念碑の建立で孤軍奮闘している高知県出身の和田達雄(当時、ジョン万次郎上陸地記念碑建立期成会)さんに現地を案内してもらった。

2018年2月18日、とうとう糸満市の大度海岸で「ジョン万次郎上陸地記念碑」の序幕式典が開催された。初夏のような陽気であったが、ジョン万ビーチと呼ばれる海岸で感慨も一気に盛り上がった。
写真中央で岩陰にしゃがでいるのが筆者。向かって左の上が「平和の礎」、この崖の洞穴には今でもアメリカ軍の火炎放射の跡が生々しく残っている。  
                            土佐ジョン万会 事務局長 森 薫

 
◎銅像が完成するまでの奮闘、苦労談  

 2011年、30年暮らした東京から万次郎上陸記念碑を建立する目的を成就するため、糸満市に2011年9月移住。
翌2012年11月24日、「ジョン万次郎上陸記念碑建立期成会」を立ち上げた。

建立への一番のきっかけは、2022年1月に急死したNPO法人琉球万次郎会の徳元秀雄会長の絶大なる協力があったからだった。 沖縄県の日本復帰2年前に23歳の自分は、貿易の仕事で琉球電電公社向けの機材通信電線ケーブルの入札参加。復帰と同時に入札は無くなり、民間通信工事業者へ新規開拓売り込み営業活動となり、株式会社工友社の徳元秀雄氏と知り合っていた。
移住した米須の綱引き祭りの場所で30年あまりぶりに再会。万次郎上陸地に記念碑建立について協力を求めた。

 期成会を設立したものの当時の糸満市長はハイハイだけの対応で、毎月の建立定例会を糸満市政策課と実施した。
しかし同じ内容のことの繰り返しだった。このままでは無駄な時間と判断。先ず記念碑建立設置場所を3カ所を糸満市と沖縄県に設定。
上陸した浜のすぐ近くは国の管理で沖縄県と交渉が必要となり、護岸工事の海側は草木の伐採も禁止、特別許可申請書類審査対象となった。

 なんとか嘆願し、3年あまりで上陸した浜から100メートルもない国の管理場所に決定。その時の喜びを今も思い出す。次は銅像と六角の面の6カ所絵図を提案提供していたが、採用されるか疑問だった。糸満市の担当、大学教授、歴史家が検討会を開いていた。期成会から徳元秀雄副会長が参画。

そして自分が提案提供が採用決定。嬉しくて泣き出そうになった。この海岸の海で素潜りを10年近くやっていて、万次郎たちが上陸した場面を絵図にしてプロの漫画家である安良城孝先生に依頼して4年前から描いていた。訂正を数回繰り返したが、銅像絵図は四面体を自分がモデルになり描き直してもらっている。
部会でピストル(拳銃)を持たせる提案を徳元秀雄副会長が反論して、ワシントン初代大統領の伝記本、航海術の本二冊を左👈手に持たせる事が決定。 自分と徳元秀雄副会長の提案が決まり、歓喜溢れる喜びとなった。また絵図の基礎枠が少し小さくて絵図が縮小される状態にと連絡があり、万次郎の膝から下の靴までが消える始末に反論した!、基礎枠を少し大きくしたら100パーセントの絵図がすべて収まった。

 最後まで諦め無い完璧な記念碑が完成。 富山県の銅像メーカーが豪雪の為、大阪の港に到着がかなり遅れて心配していた。
なんと式典の二日前に到着し六角の台座に銅像を設置。万歳と関係者一同が笑顔になった。式典は270名の県内外参加者で除幕式が開催。
ついにやった!感無量の気持ちだった。移住して6年あまり奇跡が実現した。更に建立して4年目の2022年3月に[ジョン万次郎琉球上陸物語]を小説家の親友と二人三脚にて完成。NHK大河ドラマ化に寄与できることを夢みドラマ化が実現するまで頑張って歩みたい。 

          2023年1月10日 和田達雄[和田ジョンたつお]  

◎「ジョン万次郎上陸物語」のご紹介

 2022年3月10日「ジョン万次郎琉球上陸物語」を”和田ジョンたつお”と小説家の”なかみや梁”が二人三脚にて、冨山房インターナショナルより発売出版した。

2012年に栗野慎一郎氏の講演会で[土佐人漂着日記]を説明。その後も講演会に参加。解読を楽しみにして栗野慎一郎氏を励ましていた。
2020年6月、20年間かけて栗野慎一郎氏が尚王家の文書492号の古文書[土佐人漂着日記]を現代語訳版として解読した。

2020年9月、台湾の珍新炎氏が、戦前沖縄にて写本した日本人が保管していた、親見世役人記録[異国日記]のコピーを高知市の三宮洋一氏にパソコンに転送。
なんと[土佐人漂着日記]と同時に[異国日記]入手。

異国日記は2016年に沖縄の歴史学者3名が解読していた。栗野慎一郎氏が解読する以前から三宮洋一氏には土佐人漂着日記の25ページを解読をしてもらっていた。

豊見城市の教育委員会文化課から栗野慎一郎氏の[土佐人漂着日記]の史料紹介があった。この史料を基に小説化。 フィクションを組み合わせて完成。
冨山房インターナショナルの出版社の協力にて出版。初めて明かされた万次郎三人の琉球上陸半年を知らせることが出来た。

   参照:豊見城市「土佐人漂着日記」     

    2023年1月15日 和田達雄[和田ジョンたつお]

 
 
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